曹洞宗

曹洞宗の「一仏両祖」とは

釈迦年尼仏・太祖常済大師(瑩山禅師・高祖承陽大師(道元禅師)

曹洞宗ではお釈迦様をご本尊としてあおぎ、大本山永平寺をお開きになられた道元さまと大本山総持寺をお開きになられた瑩山様を両祖として敬い、この「一仏両祖」の禪の教えをよりどころにした信仰生活に生きることをめざしてします。

曹洞宗では「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。

お釈迦さまは、自分の前にも六人の仏さまがおられたとお説きですが、この世に出現されて仏教を開かれた唯一の仏さまはお釈迦さまですから、いつでも「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。
 そして道元さまが正しい仏教の教えを中国(如淨禅師)より我が国に伝えられましたのでえ「高祖承陽大師」とたたえます。道元さまから四代目の瑩山さまは曹洞宗と名のって全国へ広められ、礎を築かれましたので「太祖常済大師」とたたえます。インドのお釈迦さまとこの日本の祖師お二方をあわせて一仏両祖としておまつりしています。

 壇信徒の御仏壇の正面(中央)は釈迦牟尼仏、向かって右側が高祖承陽大師、左側が太祖常済大師、の御仏像か御掛け軸でおまつりされておられると思います。
 曹洞宗が全国へ広まった時、既にそのお寺でおまつりしていた仏さまは、そのま ま尊びましたので、曹洞宗のお寺のご本尊さまは、お釈迦さまだけとはかぎりません。お檀家さんの中にも本尊様がお釈迦さまでなく、観音さまであったり、お地蔵さまであったり、お不動さまであったりで、そのようなケースでは昔からご先祖様より信仰され、守り伝えられた仏さまであり、そのままご本尊さまとしておまつりして尊び、「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。また他宗のお葬式、法事等にご出席されました 時には心にお釈迦さまを念じて、お参りして下さい。

曹洞宗の組織図

組織図

曹洞宗(両大本山の御紋章)

大本山総持寺・大本山永平寺

本興寺の紋は皆様ご承知の菊水の紋です

菊水の紋

 南北朝時代の武将、楠 正成(~1336年)を代表とする楠家の家紋として伝えられています。
 楠正勝(建武中興の智将、楠 正成の三男正儀の嫡男)は、祖父の意志をついで南朝再興のため一族とともに奮戦したが時利あらず、自ら流れ矢に当たり左ひざを傷つけ再び戦うことができなくなったので、福井の竜沢寺に逃れ仏門に帰依し、傑堂能勝(道号)として梅山聞本禅師に師事、修行し、やがて北陸を経て村上(新潟県岩船郡)に至り耕雲寺(室町時代1394年)を創建した。隠座三十余年、その間門弟の育成と衆生の教化に努めた結果、下越を中心に関東、東北、信越まで直八十、門葉を七百余に及ぶ。高弟が滝谷の慈光寺、石瀬の種月寺、上田の雲洞庵を開き、これらを併せて越後四箇の道場と称し、門風大いに栄え、菊水の紋が広まっていった。
 傑堂能勝禅師の高弟の一人、顕窓禅師は、村松町滝谷に慈光寺を開き、能勝禅師を開山とし自らは二世となる。八世の堅室宗玉大和尚が五泉市橋田に吉祥寺を開創し菊水の紋を寺紋とす。文明元年(1469年)に本寮門察和尚によって開かれた本興寺に大永五年(1525年)吉祥寺より宗文長老が入山し、当寺を吉祥寺の門葉に属させた。爾来、本興寺の紋は菊水の紋となった。
 この菊水の紋は、両本山紋と同様にお袈裟、仏具等に刺繍されたり、塗られたり、刻まれたりして幅広く使用されているようです。

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